蓮華化生

関西圏を中心とした寺社レポートブログ。

【寺社マジバナ】ご朱印あつめに思う事(3)

久しぶりの、御朱印集めに思う事シリーズです。

今回は【寺社マジバナ】ご朱印あつめに思う事(1)の内容について追記・削除をしたお知らせです。

 

当ブログ、地味~にマイナ~に運営しています。

そんな中で御朱印の記事に対してのアクセスがずば抜けて多いのです。

驚いてます。

正直に言うと、マイナーローカル志向のブログなのでアクセスの増加は想定していませんでした。

なので御朱印あつめに思う事(1)の記事は、寺社への想い強く御朱印の大切さも分かって居るうえで、あえて冗談を書くというスタンスでおもしろおかしく書きました。

しかし最近の御朱印ブームと当該記事のアクセスの増加に伴って、広く知れ渡るには良くない内容だと思い直し追記と一部削除しました。

私の周囲でもこれまで寺社に興味のなかった方が御朱印を集め始める人がチラホラと現れる様になりました。

またLOFTで御朱印特集のコーナーが設置されていたり、メディアなどで特集を目にしたり、そういった事からそんな大規模的に流行ってたのかとようやく気付きました。

言われてみれば確かに御朱印所に人が増えた様な・・・とも。

流行っているという事をかなり小さな枠の話と受け止めていたと思います。

 

また割と最近ですが、お連れの方と喋りながら片手でひょいと御朱印帳を受け取り、その場で御朱印帳を広げ品定めを始める(寺社の方は渋いお顔)という出来事もありました。

そんな風に御朱印のシェアが広くなり、御朱印市場(しじょう)とも言える現状が出来ている事に伴って、私も軽口で御朱印を語るのはやめようと思いました。

別に寺社の関係者でも専門家でもありませんが、何箇所も参詣している様な人間がそんな不遜とも取れる態度をつまびらかにするのは良くない事かもしれないと反省しました。

 

御朱印となると集める事に対しての是非も問われがちで、未だ集めるのを目的とする事や限定御朱印に対して渋い顔をする方も少なからずいらっしゃいます。

私の友人にも、かつてあるお寺に参詣した際に御朱印をお願いしたら「最近の若い者はスタンプ感覚でもらいにくる」とお寺の方に直球で言われた子も居ます。

私自身は御朱印コレクトは大きな目標にはしていませんが、御朱印目的の参詣がアリかナシかで言えば大いにアリだと思っています。

その理由は、寺社とのご縁づけは第三者では理解できない場合があるからです。(詳しい内容は御朱印あつめに思う事(2)に記しています。)

 

ご縁は、人がどうであれ当人にとっては必要な事柄や、人がどうであれ当人にとっては分かりやすい方法をとって廻って来る事があります。

だから傍目には軽んじている様に見えるとしても、それが先々の未来や、当人の道筋として間違っているとは一概に言えないというのが私の考えです。

それにブームがダメだというなら、江戸期の伊勢参りの流行や蟻の熊野詣と言われた熊野参詣の流行もダメな事だったのだろうか?とも思います。

伊勢参りブームなんて参詣にかこつけてロングバケーション、娯楽火遊びアドベンチャーしてたという研究もあります。

世の中に起きる事をもっと大きな流れで見た時に、それぞれの事柄や場所に段階的な隆盛があって、人々がワッと盛り上がって楽しさも感じるというのは、歴史や文化の大きな流れの1つとしてとても大切な事だと思います。

分かりやすいところでは、食文化などはそれが特に顕著ですよね。

人が多く集まってにぎわえばどんどん美味しいものが生まれる、という感じで。

伊勢などもその江戸期の伊勢参りブームがもし起きてなかったら、今はもっと違う形だったんじゃないかなぁとも思いますね。素人考えですが。

ブームが無かったら赤福も無かったかもしれない・・・。(キャー)

 

それから御朱印の文字や判の芸術性であるとか、自分の足跡をまた見返して辿れる嬉しさ、すごくよく分かります。

やっぱり何度見ても薬師寺のこの御朱印は美しい・・・。

躍動感というか健康美かな。

f:id:abc222abc222:20160319235813j:plain

それから寺社の中に街があると言っても過言でない関西在住者としては、遠方からわざわざ参詣にお越し下さるのは単純にやはりとても嬉しいです。

訪れたその日が間違いなく、千数百年もかけて少しずつ少しずつ続いてきたものの、最新版です。

今日まで続いてきた。

長い歴史の先っちょに居る事ができてる。

そして明日からもまた続く。

もうそれでいいじゃん!って思いますよね。(気分が盛り上がって来たので舌の根乾かぬうちに軽口が止まらない)

それと反対に、できることなら自分もそんな風に喜んでお迎え頂ける参詣ができたら嬉しいなといつも思っています。

好きでお詣りしてるとはいうものの何の労力も無しに辿り着ける訳でも無いので、その場所までようやく行く事ができた時、そんなに嬉しい事はありません。

それがたまたま寺社という場所なだけの話で、人によってはそれがスポーツの試合だったり、ライブ会場だったり、ウワサの食べ放題のお店だったりするというだけで。

人として当たり前に嬉しい事が当たり前に起きてる瞬間を素直にまず喜ぶのが、私にとっての寺社めぐりの意義かなと思っています。

 

私は今現在で数え間違えでなければ266箇所、複数回お詣りしてる所もあるので回数にしたらたぶん300オーバーの参詣の中で、言うまでも無く一度も死んだことがありません。

ケガもありません。

危ない目に遭った事は・・・今思えば危ない目に遭う前に回避されてきましたね・・・。

まあしいて言うならたまに筋肉痛が出る時があるくらいです。

よく考えたらそれだけでもすごいじゃないか、と。

好きな事を好きな時に好きな様にやっているだけ。

なのに生き延びる事が出来ててすごいじゃないかと最近思う様になったのですよね。

ささやかな自画自賛。(笑)

あっちこっち行くうちにどこかで何かあってもおかしくなかったかもしれないのに、毎回きちんと帰ってくることができています。

今ではこうしてbotだのmapだの作るに至っています。

だから、なんかもう、それでいいなぁと。(笑)

 

最後に御朱印について、ヤフー知恵袋にとても素敵なご回答があったので紹介しておきます。

御朱印帳の意味 - 友人と喧嘩したので皆さんの意見を聞かせてください。御朱... - Yahoo!知恵袋