【大阪の話】あれは今から2か月前、春まだ寒い折に参詣したあたたか法善寺のお話しでした。
法善寺へ参詣した話です。
えーびすばし ほうぜーんじー♪
海から山まで千里万里!
法善寺です^^
場所は心斎橋グリコサインのすぐ近く。
難波・心斎橋は山口に住んでいた頃も遊びに来ていたのですが、法善寺の参拝は初めてでした。
行っていなかったというよりは心斎橋や日本橋を「橋」と思わない様に、法善寺も完全に地名と認識しててお寺だと意識していなかったのです・・・。
ある日ふと、「あ。お寺だわ。」と気付きました。
まあこれもご縁でありタイミングであり時節ってやつですね、きっと。
ご本尊は不動明王三尊像。
画像手前の東屋の様な造りの拝殿の奥にご本尊が鎮座しておられます。
画像の左側のお賽銭箱がある所が金刀比羅宮、見えていませんがその右隣が詰所、更にその右隣にお初天神さんのお社がございます。
拝殿やお社にぐるっと囲まれて、センターにポンプ式の井戸があります。
画像をご覧の通り夜間でも明るく、平日の夜でも参拝客が絶える事がありません。
そう、法善寺は24時間365日拝観オッケー!
あなたとコンビにホウゼンテンプル♪なんです。
深夜にふと黒歴史に苛まれて厄を落としたくなった時にも駆け込めます。
そんな人間味のある過ちほど、どーんと受け止めて迦楼羅炎光で焼き尽くした後さっぱり水に流して下さるお不動さんの様な気がします。
(気のせいですね)
ここ法善寺は昔ながらのお不動さんとしてたいへん親しまれており、心斎橋のど真ん中という立地もあってか、地元の方に留まらず多くの観光客でにぎわいます。
御朱印をされているかお伺いすると、おやっ?という意外な反応をされましたので、日頃は御朱印を希望される方も意外と少ないのかもしれません。
(誤解の無い様に付け加えますと、他のお寺さんと同様にご丁寧に授受して頂けますよ)
今回は別の用事の後に立ち寄ったため朱印帳を持っておらず、書き置いてある御朱印を頂きました。
その際も、印刷ですけどええですかー?とお詫びされてしまいました。
3月29日って・・・もう2か月前ですね。(^_^;)ゞ
繁華街というのもあってか参拝客は2~5人のグループがほとんどで、私の様に単独で訪れている人はこの時は見当たりませんでした。
そして法善寺のおもしろい所の1つかと思いますが、地元の方がお連れの方(おそらく他府県の方)に、参拝の作法をあますとこなく堂々レクチャーされます。
井戸のポンプで水を汲む所から始まって、「ここのお不動さんはなー、こうして水かけて(柄杓でザッパー)なんたらかんたら~」と、そんなスーツ姿の地元の オッチャン達 おにいさん達を何人か見かけました。(しかもたぶんもうお酒入ってるよねー、という状況で。笑)
そしてグループ以外の人々も、その 声のでかいオッチャン達 おにいさん達の様子を見て参拝方法を自ずと理解するというシステムが出来あがっていて、私もそれにあやかりました。
超スペシャル地域密着型のお寺さん。
それが、それが法善寺なのです。(ドヤ)
関西、特に大阪ならではかと思いますが、自分が実際にやってみて良いと感じたものを人に強く薦めることでコミュニケーションを取る事がよくあります。
例えば「これめっちゃ美味しかってん!あげるわ!分けて食べて!」の様な。(笑)
私も良いものは薦めたくなるタイプなのでお気持ちがすごくよく分かります。
そしてこちらがご本尊。
石仏の不動明王さんですが見ての通り苔むしており、本体は見えません。
このお姿から、地元では“苔のお不動さん”として親しまれています。
1945年の大阪大空襲で市内は壊滅し法善寺も消失しました。
しかしご本尊は破損無く発見され、その後お寺を再建されて今に至るそうです。
こういったお話は各所にあり、例えば同じ大阪市内にある阿倍野晴明神社は焼夷弾が境内に投下されたものの、奇跡的に不発で消失を免れたと伝わっています。
また広島にある不動院も原爆の爆心地から近いにも関わらず吹き飛ばされず残っていたと伝わっています。
こういったお話は各地にあるかと思いますが、それを聞くにつけてやはり不思議な働きはあるんだろうかなと思います。
重く辛い歴史を悼む事はできても、過去は変えようがありません。
しかし愛着のある存在が再び心の拠り所となりそこに人々が集まる事で、過ちも失敗もやり直せると現代の私たちに伝え続けてくれているのかもしれません。
この風情ある法善寺横丁で、その様な想いに至りました。
今回もお読み下さりありがとうございました。(-人-)
さて私も晴れて大阪府民となりました。
ので!
今後は大阪の話もたくさん書くぞう!と思っています。
ええで!大阪はええで!(ワーワー)