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蓮華化生

関西圏を中心とした寺社レポートブログ。

【寺社マジバナ】御朱印あつめに思う事(2)

寺社マジバナ

まじめな話・マジな話カテゴリです。

なんだか今週は3月と思えぬ謎の寒さそして日中突然の暑さでイマイチやる気の出しきれない1週間でしたが、そんな日もあるもんだと思って。

 

さて御朱印ですが私も参詣の際にいくつか頂いています。

寺社も最近は特に期間限定の御朱印にも積極的な様で、今月中くらいまで授与されている法隆寺の限定御朱印は素直にかっこいいと思いました。(探したけど出てこなかったので割愛・・・)

 

そして私の御朱印帳はこちら。ドーン。

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こうして並べると実に猛々しいデザイン揃い。

かわいらしい表紙とか一切無いですね。(笑)

こういった様子からも自分がどの様な気持ちで参詣に臨んでいる人間なのかが垣間見える訳で・・・もうどう言い逃れしてもドMかドSかのどっちかです。

風が吹き雷が鳴り神獣は荒ぶる。

邪念を断ち切ると名高い波切不動明王尊の後背には迦楼羅炎光が燃え盛りそして酒もって来いという御朱印帳たちです。(左下の大神神社はお酒の神様でもある)

4冊ありますが埋まりきってないので10年間で正味3冊ぶんほどです。

自分は基本的に何か感じた時に御朱印を頂くスタンスなのですが、でも特に何も感じなくても貰っときなさいと促されてる様な気がして頂いた時もあるし・・・同じ所で日を変えて重ねて頂いた時もあるし・・・まあ何にしろ私自身は集める事に強いこだわりは無いという事ですね( ̄▽ ̄;)

 

御朱印集め人口が増えるに従って、御朱印目的の参詣は是か非か?というご意見も目にする事が増えました。

私としては頂く動機は別に何でも良いじゃんと思っています。

御朱印を頂くのがコレクション目的によるものと信心によるものと、そのどちらであっても個々にとってご縁結びのきっかけである事には変わりが無いと思うからです。

頂いた時点ではご神仏や寺社の背景などといった深い意味までは分からなかったとしても後になって分かってくる事もあります。

それが分かるまでの道のりが盛大に遠回りだったりすると、長いわ!と思う事も無きにしも非ずですが・・・。(しんどいっちゅーねん。笑)

しかしその様な遠回りや、無知ゆえに不器用だった道すがらも、自分にとって必要なルートだったのだろうなと思う今日この頃です。

そんな風に、何がどう巡って来るかのタイミングや、それをどうやって越えてゆくかの重要性は人それぞれで決して一様ではありません。 

 

例えばA神様を主祭神としてお祀りしている神社に、摂社としてB神様が祀られているとします。

その時の参詣の目的はA神様で、とりあえずコレクション的に(要するについでに)B神様の御朱印も頂いたとして何も悪い事とは思いません。

知らない事なら新たに知って身に付ければいいだけです。

A神社では摂社だったB神様が、B神社では主祭神として祀られている事もあり、ついでだった御朱印をきっかけにして次はB神社に参詣する可能性もあります。

そして当初はついでに過ぎなかった事が、その方にとってその後の命運を変えるほどの出来事に繋がる事もあるかもしれません。

そしてB神社まで至るのもすぐの事とは限らないし、必ずしも寺社に関わる出来事だけに繋がるとも限らないし、回り廻って来る出来事も5年後10年後かもしれないし、それよりもっともっと先かもしれないし、ひょっとしたら来世(!)かもしれません。

 

そういったついでのきっかけを、運命をどう転がすかの事までに昇華するのかしないかはそれぞれに応じたタイミングと、本人の気持ち次第という所ではないでしょうか。

私としてはご縁づけとはそういうものだと思いますし、その様に個別の未来を見据えれば御朱印目的の参詣が良くない事だとは言い切れないと思います。

ですから御朱印を集める事の是非を議論しても騒ぐだけ時間の無駄ちゃうか~?と思うと同時に、外野(聖職者含む)から見える断片的な事だけで良し悪しを裁く事もできないよねと思います。

 

ここにあえて付け加えるなら、聖職者であればこそ参詣者に是非を問わずして構えられてはいかがだろうかとは思います。

納経をして頂くという本来の御朱印の様式から、数百円ほどのお納めでお渡しするという現在の様式に定めているのは寺社側のはずですので、プロであるならそこはご納得のうえで授与して頂けると参詣者としては安心ですしありがたいです。

ご納得いかなかったり矛盾があるのなら、やはり本来の様式に戻すのが適切という事なのかもしれませんので、その様に対処されるのが良いのではないでしょうか。

いずれにしても参詣者側に授受の仕方の是非を問うものでは無いと思います。(このあたりに関してはまたいずれ別記)

 

というのが持論です。以上。

ただ先日UPした様な、オークションで上乗せしての販売となると是非を問います。

オークションも上記で述べた様なご縁結びのきっかけの一つだと言うとそうなってしまうのかもしれませんが、実際に参詣して集めるのとネットで探して買い求めるのとでは全く質が異なります。

 

予定を組み下調べなどの時間を費やし、ある程度の心構えを持って訪れ、そして地域の様子や他の参詣者の様子とも関わり、境内の空気や天気などの様子も含め、姿勢を正し気持ちを整え五感を通じて聖域という場所を感じる。

参詣はただ行くのではなく、そういった事も含まれています。

ではオークションでの検索から落札まではどういう状況でしょうか。

姿勢を正し、空気を清浄にし、拝殿や祭壇を設けて手を合わせてから検索するでしょうか?

たいていの場合は、交通機関で移動しながら、誰かとおしゃべりしながら、TVや動画を見ながら、ごろ寝しながら、お風呂に入りながら、ごはんやお菓子を食べながら、とりあえずネットして・・・など、実際の参詣の時とは程遠い気持ちと場所で御朱印を探しているのではないでしょうか。

自ら歩き赴いて五感で感じた上で御朱印を頂く事と、スマホやPCの中で探してチョチョイと落札するのとでは、同じ事では無いだろうなと思います。

それは古くからの様式を破っているネット上であるから問題なのではなく、参詣せずに上乗せ金を払ってでも手に入れたいという盲目的な心理が問題なのだと思います。

 

そしてここが一番の問題。

その様な盲目的な状況下でオークションを利用してでも御朱印を自分のものとしたいと思ってしまう気持ちや限定にこだわってしまう気持ち。

それは本当に自身の本意なのか?という事。

つまりその様な集め方は本当に自分自身に背いていないか?

後ろめたさは全く無いか?

というのが一番の問題なのだと思います。

背いてないと迷いなく言い切れるのであればそれは外野がどう思おうが自身にとって有意義な事になるのだと思いますし、背いていると胸中にわずかにでも影が差すのなら自身にとって有意義な事にならないと無意識に自覚しているのかもしれません。

本意でなく手に入れたものの成れの果ては、おそらく自分自身が一番よく分かっている事のはずなので、だから胸中に影が差す・・・。

 

本当にご縁が深い寺社はどこか?

数を集めなくても心強く感じられるご縁はいずこにあるか?

集める果てに少し考えてみても良いのではないかと思う次第です。

ここまでをざっくり一言でいうと、堂々とできない様な事をわざわざ増やして抱え込まんでもええやん^^

って事ですね~。

 

ちなみに頂いた御朱印の中でお気に入りは薬師寺薬師如来さんのものです。

デジタル画像だとわかりにくいのですが、字の勢い、バランス、黒々とした墨。

力強くありつつも柔軟で、どこかかわいらしくユーモアな部分も垣間見えるので、特に際立って素敵や~と感じています。

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それに、何だかちょっと嬉しげにも感じられませんか。

特に「薬」の「楽」の部分が本当に楽そうに見える。(笑)

これには病も逃げ出すで!ヾ(*´∀`*)ノ